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NO.125 排他的公案主義・・・?? その2
□投稿者/ 大閑道人
□投稿日/ 2004/01/19(Mon) 07:16:03
「公案」とは何ぞや?という問いかけは、学術的である。
彼の臨済宗の和尚さんは、この問いかけに応じたものである。
一方、それぞれの公案をとく、ということは、学術的にはなりえない(かも知れないことが多いだろう、と推測する)。
それぞれの公案をといても、その糸口や最終的な「あぁ、わかった!」は、
身体上に現れた変化で、(師家は)判断するものだ。
決して、言葉→文字に写し取られただけでは判断できないところが、不立文字であり、面授面受とされるところだから、
とき方の糸口=文字情報をいくら集積したところで、公案はとけない。
文字情報の集積は、足し算の世界、答案をとく、ことは、溶く、すなわち、自分の中にと公案を溶け込ませることだから(=世界と一体化することだから)、掛け算の世界。
・・・、ね、だから、スピリチュアルな話題に流れ込むから、妥当な話題だろうかなぁ、と危惧したしだい。