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NO.120 公案と三密行
□投稿者/ さくらんぼう
□投稿日/ 2004/01/17(Sat) 21:20:57
(一般掲示板 [49])
>あちらへ移したいと思っているのですが、いかがでしょう?
私は、管理者様の御意に!従います。
大閑様のフットワークの軽さには、つくずく感服させられます。
ありがとうございます。
>「公案」は論理的思考を断ち切る手段、もしくは論理を超えた体験を引き出す道具と考えられていたようです。
>公案は真理が体現されたものと言えることにもなりましょう。
アビダルマ仏教に偏りやすい傾向がいつの時代にもあったんでしょうか。そういった流れに対する批判姿勢が禅の中に芽生えたような。そんな気がしました。
真理の体現が公案。うん!言葉では納得!
そうすると、真言密教では、この身は仏の姿をなし、言葉は真理を語り(密教では真理は言葉で語られます)、心は仏の思いを観想する、・・これが真理の体現、ということになりますが、
これも両者をよくよく比較してみれば、結局同じことを違った表現で示しているような、そんな気もしてきます。、言葉の上では。