掲示板の歴史 その四
▲[ 73 ] / 返信無し
NO.83  『仏教美術入門』より
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/12/23(Tue) 14:30:13
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/


以下は、最近古書店で購入した佐和隆研著『仏教美術入門/目で見る仏像の生いたち』(社会思想社)という一般書からの引用。
まずは大乗仏教美術一般の発生についての簡単な記述です。
二 大乗仏教美術
この美術は世紀一世紀終わり頃からはじまっており、その後仏像が成立したあとの浄土思想が流行した時期の美術であります。この時代には釈迦像をあらわした仏伝図も多く作られています。(ガンダーラ・マトゥラー・ナーガルジュニコンダ)しかし礼拝のための釈迦像が大きく作られていることは重大な意味をもった変化であるといわなければなりません。それは塔中心の時代から仏像を中心に礼拝するという、大乗仏教的な信仰形態が確立されたことを意味するのであります。
この美術が作られた時代には仏教も国外に広く伝えられて、その初期にはすでに中国にまで仏教がひろまっております。五世紀にはすでに南海地方までも仏教が伝えられているのであります。
この時期の仏教の理想は浄土信仰であり、浄土の表現がさまざまに試みられております
この時代の美術は八世紀頃まで繁栄しています。日本の奈良時代もこの美術の流行時代であり、最盛期の原典をなるものといってよいでしょう。(十二頁)
次は、同著にて「ガンダーラ仏像と経典の関連性」に関する記事からの一部抜粋です。
仏像が制作され得る理由は経典には説かれておりませんが、信仰の対象としての仏の像が作りはじめられるためには、それを認める根拠を経典に説いている仏教自体の思想のなかに求めなければなりません。しかしその明白な根拠を経典に求めることは困難であります。私はただ次のようなことが考えられると思うのであります。
仏像が成立した前後の頃には大乗仏教思想が成立して、釈尊は人間としての釈尊ではなく、ほとけとしての釈迦として考えられはじめていた時代でした。そのために小乗仏教時代のように塔を礼拝の対象としていたことは何かその考え方においてそぐわないものとなり、新しい信仰・礼拝の対象が要求される時期がきていたといってもよいでしょう。それはほとけとしての釈迦の象徴が要求される時期が到来していたことを示すのであります。
この考え方によってガンダーラではギリシャ的な仏像が作られ、インド内部ではインドの伝統的な芸術観によって作りはじめられたと考えてよいものと思います。一度釈迦像が作られると、それは仏教が信仰されている地方全体にひろまり、釈迦の像は各地で各様に作りはじめられたのです。また釈迦の姿はそれとともに仏伝のなかにもあらわれはじめます。ガンダーラ彫刻にみられる仏伝の浮彫には人間的な姿をした釈尊の姿のあらわされているものがたくさん現存しております。(同三一〜三二頁)