掲示板の歴史 その三
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NO.93  今調べてみたのですが
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/07(Wed) 12:47:52
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/


モンチさん、こんにちは(^_^)
ひさびさのご投稿、ありがとうございます。

>【エロヒム】の言葉が分かりません。(大辞林にも出ていない)

今調べてみたのですが、エロヒム[ELOHIM]というのは旧約聖書『創世記』冒頭に出てくるヘブライ語で、「神」を意味するらしいです。

>「キリスト教における神が、実は旧と新とでエホバとエロヒムという性格をまったく異にする二つの神格に区別し得る」 →そう言える根拠も知りたいです。

それは私も興味があります。
旧がエホバで新がエロヒムなら、『創世記』にエロヒムの語が登場していることで仮説が成り立たなくなるような気がします。
大閑道人さん、説明をお願いします。

>「イエスの教え」においては「御国の実現のために」という前提において他者への「愛」を説き、「大乗仏教(?)の教え」では、私と他者との関係において「慈悲」を説いていると思いますが。

なるほど。
私はあまりキリスト教を深くは知らないつもりなのですが、いわれてみればそれが根本的な違いなのかも知れませんね。

>また、「小乗仏教」と「大乗仏教」とを分離させるのも私には分からない。(学者さんは分類させたがりますが)

「学者が」というよりも、「大乗仏教圏の人間一般が」といった方がよいかも知れませんね。
小・大乗の区別は大乗仏教を自称する運動もしくは団体が勃興して以来、そのあらゆる教化圏において、歴史的に慣習化されてきたものですから。
逆に、たいていの学者の方は(どこかの宗門に所属している方でもない限り)「原始仏教」「初期仏教」の色彩が色濃く残る貴重な仏教形態を指して「小乗仏教」とは呼びたがらないように思います。

>私には「イエスの教え」(思想形態)は「イエス」の誕生以前にも、以後にも単独独自なものとして発生していたし、「ブッタの教え」(思想形態)は「ブッタ」の誕生以前にも、以後にも単独独自なものとして発生しうると考えています。(影響が無しとも言いませんが)(ただ、後生に残しうる集団を持ち得なかった)

興味深いご意見です。
念のためお訊きしますが、そう思うのはなぜですか?
根拠は何ですか?

>仏教側はイエスの教えは「ブッダ」の影響を受けていると言い、キリスト教側は「大乗仏教」は「イエス」影響を受けていると言う。

あれは単なる仮説だと大閑道人さん御自身もいってます。
もっとも彼は「仮設」といっているのですが(^_^;)
仮説はどんな内容でも、理論的に間違っていなくて可能性がある限り、出来るだけ尊重してみたいと思ってます。
特に、私は大閑道人さんのことを「発想の人」だと思っているので、なるべくいいたいことを言っていただこうと思ってます。
どちらにせよ、われわれは学者ではないので責任がありません(苦笑)
知的ゲームとか歴史推理の類だと思って気楽に構えてください。

>もっとも、私にとっては「学ぶことで、私に何が備わるか」が重要なんですが。

同感です。