掲示板の歴史 その二
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NO.82  東密と台密
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/12/20(Sat) 16:10:05
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/


こんばんは、環さん。
書き込みありがとうございます。

>本を読みたいと思いますが、入門書としてどの様なものが分かりやすいですか?

学研から出ているブックスエソテリカシリーズがお勧めです。
手頃な値段で効率的に知識が得られます。

>空海の「真言密教」と最澄の「天台密教」はどの様な違いがあるのですか?また、どの様な形態で変化したのでしょう?インドで教わった人が違うからですか?

空海と最澄はインドへは行ってません(^_^;)
彼らが行ったのは唐です。
真言密教(東密)と天台密教(台密)につきましては、岩波『仏教辞典』から引用するのがどうもいちばん効率がよいようなので、そうさせていただきます。
東密 とうみつ
東密とは、広くは弘法大師空海にはじまる真言宗をいうが、この語は鎌倉時代末の『元亨釈書』巻27が初見とされる。あるいは当時の東寺(教王護国寺)が真言宗の教勢の中心であったためであろう。またそのころは、平安末期に覚鑁が根来山(根来寺)に退隠して以来200年経過しているが、その系統の智山派・豊山派の新義真言宗はまだ興ってなく、覚鑁の大伝法院流は東密三十六流の中の、広沢六流の一とされているから、したがって東密とは、厳密には東寺・高野山・仁和寺・醍醐寺などの、いわゆる古義派の範囲についての称呼というべきかもしれない。
さて東密の綱格や教理は、空海の時点でほとんど完成したといってよい。空海は入唐して、長安の青竜寺で不空の弟子恵果から胎蔵(界)・金剛界の両部の密教を伝授された。当時において密教の伝授は、ある者は両部、ある者は胎蔵部のみ、ある者は金剛界部のみ、ある者は蘇悉地部を加えた三部の授受が行なわれていたが、空海はその中の両部の受法である。空海はそれを「両部不二」と称したが、これが東密の綱格となり、台密の三部に対照される
次に教理について、不空や恵果には教理に関する論述はあまり残ってなく、おそらく空海は恵果の口説や金剛頂経(教王経3巻、略出経4巻)、大日経(7巻)、それらの注釈書、『菩提心論』(1巻)などにより、先人を超えて進展した教理を論述している。特にそのころまでは唐か朝鮮で偽作されたとしてかえりみられなかった『釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)』を用いることにより、真言密教は「不二摩訶衍」(因と果、煩悩と菩提、生死と涅槃などの対立がなく、一如の境地)であると述べている。この理論は台密の安然(あんねん)の取るところで、後の本覚思想の源流となっているが、台密では法華経と大日経の一致、釈迦と大日如来との同一、胎・金・蘇の三部をいうのに対し、空海は真言密教の他の諸教に対する大日法身の絶対性をいう。このほかにも空海は多くの密教理論を構成し、胎・金の修法儀軌を整備したが、その教理の解釈や事相作法の相違や師資の法脈などによって多くの流派を生じ、さらに大きくは古義と新義に分かれるところとなった。

台密 たいみつ
伝教大師最澄以来、天台宗に伝承されている密教。「台密」の称は「東密」の語と共に『元亨釈書』巻27が初見とされる。最澄は入唐し、805年(貞元21)、越州の竜興寺で順暁から三部三昧耶の密教を伝授され、帰朝して止観業(天台学)にあわせて遮那業(密教)を申請し、年分度者2名が認められた。次に、円仁・円珍が入唐し、多大の密教経典や儀軌・曼荼羅を請来し、また経典の注釈や論書を撰述した。遍照(昭)はそれら諸師の伝授を一身に集めたが、特に安然は先師の説を推進して『教時問答』(4巻)、『菩提心義抄』(5巻)、胎蔵界・金剛界・蘇悉地部や灌頂の儀軌を撰述し、ここに空海に始まる東密に対峙する、台密の教相・事相が大成した。以後、覚超(?〜1034)、皇慶(こうげい)(977〜1049)による川流・谷流の2流から、三昧流・法曼流・穴太流などの13流その他を派生した。また円珍の系統による寺門派も、山門の密教に近似しながらも、また特有の密教を展開している。
台密の教相の特色は、第一に大日経・金剛頂経と法華経との一致説、第二に毘廬遮那如来と釈迦如来の一体説、第三に胎蔵・金剛界・蘇悉地の三部立て、第四に胎蔵界は十三会の曼荼羅、金剛界は八十一尊曼荼羅であること、第五に瑜祇経による胎・金合行灌頂を行なうことなどがあげられよう。それらは東密と相違するものであるが、その中にはむしろ唐の密教を正確に伝承したものが多い
「延暦の末、伝教・弘法一時に異受す。故に台密あり、東密あり」[元亨釈書27]
>良かったら御芳名帖にも空殻さんに質問していますので宜しく。(笑)

既に何度か拝見させていただいたのですが、どうも質問されているというよりも話を上手く纏められていましたし、私もまったく同感なので、敢えて応答を控えておりました。私ばかりがお返事しているようで、実はご迷惑だったのではないかと心配していたのですが、どうやらそれは杞憂だったようですね(^_^)
安心しました。
ただひとつ気付いたことは「温故知新」は「古きを訪ね」ではなくて「古きを温め」です・・・揚げ足取りみたいで申し訳ありません。

今後も面白い話をしてゆきましょう。
こちらこそ、よろしく。