掲示板の歴史 その二
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NO.61  小松和彦における 「闇」
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/11/27(Thu) 19:21:04
□URL/ http://members13.tsukaeru.net/qookaku/

つい最近古本屋で購入した小松和彦著『妖怪学新考・妖怪からみる日本人の心』に、非常に頻繁に「闇」という言葉が用いられているのを見つけました。
本質的に私の述べていたそれと重なるのですが、

「闇」=「闇と光りが織り上げる領域をめぐる想像力の源泉」=「日本美の理想的姿」

という概念的位置付けは、まさしく私のいわんとしていた「闇」のことであると確信しました。参考のため以下に引用します。
尚、これは単なる資料ですのでレスは不要です。
(もちろん、レスしていただいても結構なのですが)
  1. ・・・しかし、この一〇〇年のあいだのわずかな妖怪研究の蓄積が明らかにしているんは、子どもが、いや大人たちさえも不思議や妖怪の出現を恐怖しつつ待ち望んでいるということである。それは人間の精神活動の重要な一部分を構成しているのだ。否定しても否定しても、次々に新しい妖怪がたち現れてくる。社会のなかに、現代人の心のなかに、恐怖や不安を引き起こすものがあるかぎり、「闇」があるかぎり、妖怪はうわさ話の形をとったり、フィクションのなかの妖怪たちに姿を変えたりしながら、生き続ける。・・・(二五頁)

  2. ・・・民衆の妖怪信仰を支えてきた「闇」に焦点を合わせて日常生活のなかでの妖怪のあり方を探り・・・(二六頁)

  3. ・・・観念上の存在である妖怪は、観念上の「域外」(=異域)に存在し、そこから人間世界とのあいだを去来する。この観念上の域外は空間と時間の二重の形をとって現れる。一つは諸地域の間隙、とくに山の暗闇であり、もう一つは過去である。・・・(三六頁、『狸とその世界』中村禎里説)

  4. ・・・ところで、さきほど人間にとって自分がもっとも安心できる場所であると述べたが、じつは人間はその心の内部にも深い「闇」を抱えもっている。自分が社会的存在として生きていくために獲得した理性・倫理によっては制御しきれない「無意識」の領域がそれである。そこにもやはり妖怪が棲みついていて、機会があれば、制御された「意識」の領域を侵犯し、その人間を支配しようとしていた。・・・
    ・・・「心の闇」は、別の角度すなわち病気などの災厄を受ける側に立つと、自分を恨む他人の攻撃という面だけではなく、自分の心のなかにある「罪意識」ないしは「被害者意識」とも結びつけられて説明することもできる。・・・(四四頁)

  5. ・・・空間論的に江戸の都市を眺め、その市中を歩き回ってみると、あちらこちらに怪異・妖怪出現空間が存在していたことを見いだせる。もっとも、そのような場所の特徴を抽象的に表現すれば、民俗学者の宮田登がしきりに強調するように、辻や橋、町はずれ、化物屋敷などの「境界」にあたる場所で、これは、江戸に限らず、古代の京都や農村と変わるところはないといっていいだろう。人々の意識する生活空間の多様な「境界」が「異界」との境界ともなっていたのである。逆にいうと、都市空間の至るところにそうした「境界」は存在していた。怪異・妖怪現象の生じるところはすべてそうした「境界」であったともいえるのである。・・・
    ・・・近世は、人間の内部の「闇」に起源を求める妖怪=幽霊と、自然の「闇」に起源を求める妖怪=キツネが活躍した時代であったが、しだいに幽霊(怨霊)のほうへと関心が向っていったようである。というのも、都市の人々を取り囲む空間がますます人工的になり、ますます自然とは離れた人間関係を中心とする世界になっていったからである。
    近世の都市は、妖怪論の立場からすると、自然起源の妖怪と人間起源の妖怪たちがその存亡をかけて勢力を競いあっていた時代といっていいかもしれない。(一一二頁)

  6. ・・・私たちの先祖は、この世界がもっと明るくなるようにと思い続けてきた。闇が少しでもなくなれば・・・(中略)・・・もっと幸せに感じられるようになるだろうと信じてきた。しかし、そのころは、闇がほんとうになくなってしまうなどということは少しも考えてはいなかったのである。まして、闇があっての光であり、闇を恐怖し忌避しつつも、闇が私たちの精神生活に必要だ、ということを考えてもみなかったのだ。・・・(一一三〜四頁)

  7. ・・・谷崎(潤一郎)が嘆いているのは、「眼に見える闇」の喪失であって、「眼が効かない漆黒の闇」の喪失ではない。・・・(中略)・・・すなわち、明かりのない闇も好ましくはないが、闇のない白日のような過度の明るさも好ましいことではなく、光りと闇の織りなす陰翳ある状態こそ理想だというわけである。
    谷崎はそこに日本の美の理想的姿を見出した。しかし、陰翳の作用の重要性はその配合調和の度合いに多少の違いはあるにせよ、美のみではなく、日本人の精神や日本文化全体、さらにいえば人間全体にとっても重要なことだといっていいのではなかろうか。(一一七頁)

  8. 「後ろの山」とか「背戸」といった空間は居住空間としての家のレベルで意識された「闇」の空間であるが、これをより抽象的に表現したものが「奥」という観念であろう。「奥」は「表」や「前」にある程度対立する言葉であるが、「裏」や「後ろ」に対応する概念ではなく、「表」や「前」からの「深さ」ないし「距離」をともなった「裏」や「後ろ」である。「奥座敷」「奥山」「奥義」「奥宮」「奥の院」といった言葉には、神秘的で閉ざされた「闇」の空間・領域といった意味合いが暗黙のうちに含まれている。「奥」は身体的・生理的体験を通じて把握される。それは身体によって感受される空間の陰影であり、厚み・深みである。(一二一頁)

  9. 電灯が「闇」を克服するということは、その「闇」をめぐる、もっと正確にいえば「闇」と「光り」が織り上げる領域をめぐる想像力の源泉の一方が消滅してゆくことでもあった。つまり、「闇」から紡ぎだされるうわさ話や物語が人々の周囲から消え失せていったわけである。・・・(中略)・・・谷崎潤一郎はそこに日本美の危機を読み取っていたのだ。(一二五頁)

  10. ・・・「妖怪」や「魔」を研究することは、とりもなおさず、この母胎、つまり日本文化の仕組み、日本人の伝統的思考様式を探ることにほかならない。・・・(一五六頁)



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