掲示板の歴史 その一
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NO.28  不邪淫戒について
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2003/07/31(Thu) 14:46:14


>「不立文字」が地下水脈として底流している仏教

果たしてそうでしょうか。
それはみのるさんの個人的な意見であるとお見受けします。
お読みになられた方はご注意ください。

>更には誤訳、意訳、音写、音訳、真言・・が混在している仏教では、字面を追っているだけでは何にもわからないのです。

そうでしょうか。
そのように「どうせ何もわからない」と決め付けてよいものでしょうか。
字面を追っていても何かがわかるかも知れませんよ。
もしくは、字面を追わなければ分からない何かがあるやも知れません。

>それは、仏教の正面入口とされる坐禅が「調身、調息、調心」のように体(の形)から入るし、又心経が端的に示すように「観自在菩薩、・・を行じる時、・・苦厄を度したもう」つまり、仏教は、行じなければ肝心のところはわからないのですよ。

仰るとおり、一般的に仏教は行じなければ肝心のところはわからないとされています。ただ、だからといって「字面を追う」ことでは何も分からない、得られないとされるのは極論であり、また早計です。逆に、読まねば分からないことの方が多い可能性もあります。

例えば、禅でいう「不立文字」「以心伝心」の典拠とされる「拈華微笑」のエピソードは偽経と認められる『大梵天王問仏決義経』に見られるわけですが、このエピソードが読まれなければ「不立文字」というコンセプトも正式には成り立たなかったかも知れません。また、それが学者に読まれ、彼らによる文脈や表現方法、考古学的出土品などの調査研究を経なければそれが偽経であるとはいつまでも判明せず、われわれ一般人もまた学術書を読まねばこれが偽経である(またはそう認められている)とは分からないのです。
このことからも、「読む」という行為が如何に大切であるかが知れると思います。

ところで、「坐禅が仏教の正面入口とされる」というのはみのるさんの個人的なご意見であると見受けます。
お読みになられた方はご注意ください。

>早い話が、「痛い」ということは言葉でいくら説明しても実感できないでしょ。一発殴られたり、どこかを切られたりして体験して初めてわかるのです。仏教は「体認」が重要なのです。ですから、「面壁九年」があるわけです。

仏教には「実践」が重要だとはよく聞かされますが、なぜ「ですから面壁九年がある」なのでしょうか。

>長い参禅や五戒の厳守の修行をなさった今時稀有な真正の方

なるほど、みのるさんは「長い参禅や五戒の厳守をした人」を「真正」であるとおっしゃるわけですね。

>「彼女募集中」を見て、なんだこりゃ、ただのミーハーと同じ神経の持ち主じゃないか、これじゃいくら仏教文献を読んだって仏教の何たるかがわかるはずがないと、落差が大きかった分幻滅を感じてガッカリしたのです。 以上で説明になりました?

まず、五戒の一である不邪淫戒について説明させていただきますと、これは「女性と付き合ってはならない」ということではなく「夫が妻以外の女、または妻が夫以外の男と肉体関係を結ぶことや、夫婦でもよこしまな方法などで性交を行なうことを禁ずる戒」のことをいいます。
つまり、「彼女を募集すること」は五戒に抵触しないということが分かります。
「長い参禅や五戒の厳守をした人」を「真正」とするならば、もしかすると私はおっしゃるところの「真正」なのかも知れませんね(苦笑)

したがいまして、「彼女募集中を自称するのはミーハーと同等であって、ミーハーと同じく仏教の何たるかがわかるはずがない」と押し付けがましく決め付けられるのもまた浅薄な極論なのではないでしょうか。(ミーハーを自称する方にも失礼ですし)

>それにしてもあなたは何故、このやり取りをYahoo!掲示板にカキコしなかったのですか?

大して理由はありません。
あえていえば、なんとなくといったところでしょうか。