仏教用語辞典


無字 [むじ]
禅宗の第五祖・法演(一〇二四〜一一〇四)の『五祖法演禅師語録』に紹介される「趙州無字」の公案に始まり、大慧によって強化された公案の手段。
「無」の一字に瞬発的に精神を集中させて悟境を得んとするもの。
手っ取り早い参考文献として角川文庫ソフィア『仏教の思想7/無の探求<中国禅>』があるが、この第十一章を参照されたい。
同著で筆者の一人である柳田聖山氏は

「無字」はあくまで公案であり、精神統一のひとつの方法にすぎない。公案は、すぐれた瞑想の方法ではあるが、方法がただちに思想ではない。「無字」の公案が、いうところの「無」の思想を形成したのは、あるいは近代のことであり、むしろわが国の近代哲学においてである。宋代以後の大陸における禅宗は、すでに指摘しておいたように、あるいは狭い経験主義や、倫理的な厳粛主義におちいって、思想そのものの雄大な発展を示すことがなかった。むしろ思想的な反省の仕事を、ほとんど朱子学や陽明学に譲ってしまった近世の禅は、はなはだしい定型化におちいって、心ある人々の顰蹙を買った例すらある。(二二一頁)

と述べている。
また、同氏は中国禅は『無門関』にいたって発展の極点に達したため、それ以上は進むことがなかったと断言している。
(二〇〇四年五月十日入力)

⇒ 公案