仏教用語辞典


涅槃 [ねはん]
サンスクリット語ニルヴァーナ(nirvaana)の音写で、泥曰、涅槃那、涅隷槃那、涅婆南などとも書き、滅、寂滅、滅度、寂などと訳す。
離繋、解脱などと同義で元来は「吹き消すこと」「吹き消した状態」を意味し、煩悩の炎を滅した状態を象徴的に表現した言葉。
仏教の究極的な実践目的だが、大乗と小乗の諸派とで解釈に異説がある。
中村元博士はその著書『人類の知的遺産13・ナーガールジュナ』(講談社)で『中論』を、チャンドラキールティの註釈『プラサンナパダー』に基いて掲載しているが、同著の二四一〜二四二頁で「ニルヴァーナとは」という項を設けて次のように説明している。
ニルヴァーナとは
このようにニルヴァーナは四句分別を絶しているが故に、ニルヴァーナは一切の戯論の寂滅した境地であると説かれている。

「[ニルヴァーナとは]一切の認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい[境地]である」(第二五章・第二四詩前半、なお『プラサンナパダー』五三八頁参照)

認め知ることと訳した「有所得」とは、何ものかを知覚し、それが実在していると思いなすことである。「戯論」とはprapancaという語を漢訳したのであるが、prapancaという語が仏典では一般に形而上学的議論を意味するので、「戯論」と訳したのであろう。しかしチベット訳ではprapancaをspros pa(ひろがり)と訳している。インド哲学一般としては「世界のひろがり」の意味に解せられている。
ともかく、ナーガールジュナによると、ニルヴァーナは一切の戯論(形而上学的論議)を離れ、一切の分別を離れ、さらにあらゆる対立を超越している。したがって、ニルヴァーナを説明するためには否定的言辞をもってするよりもほかにしかたがない。

「捨てられることなく、[あらたに]得ることもなく、不断、不常、不滅、不生である。――これがニルヴァーナであると説かれる」(第二五章・第三詩)

これらの諸説明と、『中論』の帰敬序とを比較してみると、縁起とニルヴァーナとに関してほとんど同様のことが述べられていることに気がつく。(二四二頁)
(二〇〇四年五月十日入力)

⇒ 戯論 有所得

拈華微笑 [ねんげみしょう]
偽経『大梵天王問仏決疑経』に説かれている寓話。
禅宗の起源を説く寓話で公案の一。
ヒンズー教の最高神ブラフマー(梵天)がグリドラクータ(霊鷲山)で弟子たちと一緒にいるブッダを訪れて金波羅華(『正法眼蔵』によると優曇華)の花飾りをささげて教えを請いたとき、ブッダは説法をする代わりにその飾りから花を一輪引き抜いてねじってにこりと微笑んだ。弟子たちは誰ひとりその意味を理解しなかったが、マハーカーシャパ(カーシャパ、摩訶迦葉、迦葉)だけがそれを理解して微笑み返したという。
これは第六祖以降の禅宗のスローガンであると推定される「不立文字 (悟りは文字や言葉によって伝わるものではない)」の典拠であり、シャーキャムニ・ブッダがカーシャパにのみ正法を授けたという「伝灯」の起源となった。逸話自体は唐代に引用され始め、宋代以後は禅宗の正統性を裏付けるものとして中国文化社会に完全に定着し、それはその後も韓国や日本に伝わり東アジア諸国に文化的、社会的に大きな影響力を持つに至った。
ちなみに『無門関』には、ブッダはこのとき「カシュヤパは言葉にも文字にも表せない真実の法を観る眼、涅槃の心(悟り)を私から得た(私訳)」といったと記されている。
二〇〇四年五月十日入力)

⇒ 不立文字 荷沢神会 達磨 胡適 鈴木大拙