仏教用語辞典
て
デーヴァダッタ [でーう゛ぁだった]
⇒ 提婆達多
転識得智 [てんじきとくち]
- 法相宗に端を発する唯識用語で、悟りを得る際に通常の八識を転じて仏の四智と成すこと。
すなわち、修行の成果によって仏となること。
『大乗荘厳経論/菩提品』や『摂大乗論/第八』によれば、現実世界における仏の活動は
@ 「成所作智」
(Krtyaanushthaana-jnyaana = 作すべきことを遂行する智)
に基いて行なわれる。これは眼耳鼻舌身意の前五識を転じたものであり、
A 「妙観察智」
(Pratyavekshana-jnyaana = 対象について充分に観察する知識)
に伴われている。これは第六識である意識が転換したものである。
常に六識に従っていた第七識、末那識(自我意識)は、
B 「平等性智」
(Samata-jnyaana = 自己と他者との平等性を理解する智)
となる。
これら三種の現勢的な知識の根柢には阿頼耶識から転換された
C 「大円鏡智」
(Aadarsha-jnyaana = 鏡のような智)
があり、仏智はこれを根拠にしているとする。
ここまでは仏教一般において説かれる説だが、密教ではこれに阿摩羅識を転じたとする
D 「法界体性智」
(Dharma-dhaatu-svabhaava-jnyaana = 真理の世界の本来の性質を明らかにする智慧)
を加えて五仏智とし、金剛界曼荼羅の五仏に当てはめて象徴させている。
横山紘一立教大学教授は、その論文『心の構造――唯識説を中心にして』でこの「心転換」の機能的構造を次のように述べている。
- 心を浄化する方法はヨーガを実践する以外にはない。
- そしてヨーガの実践によって、まず表層的心の「相縛」の状態から解脱する。
- そのような表層心理のあり方が徐々に深層の阿頼耶識を浄化し、阿頼耶識が「麁重縛」の状態から解脱する。
- そして最後に深層的にも表層的にも心全体が清浄になりきり、存在をありのままにみる智慧が生じる。
(参考文献『インド仏教/3』岩波書店)
⇒ 阿摩羅識、阿頼耶識