掲示板の歴史 その十八
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NO.407  九十八随眠
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2005/10/18(Tue) 22:45:49
□IP/ 219.102.17.216

嬰産さま、はじめまして。
ご投稿ありがとうございます。


>四諦の九十八煩悩の断惑の関係がわかりません。。。

九十八随眠というのは、アーガマに散見する多くの煩悩群のうち 七随眠(貪・瞋・見・疑・慢・有貪・無明) だけをピックアップして 貪 と 有貪 を同一視して 六随眠 にまとめ、更に 見 を五分割して 十随眠 を形成し、それらを欲界・色界・無色界の 三界 のそれぞれの精神的階梯に当てはめて 五部(見所断を四諦のそれぞれで分割したものと修所断) で括ることによって、

(1) 八十八の見所断(「ダルシャナ=四諦のそれぞれを明らかに見ること」によって断じられる理知的な煩悩)
(2) 十の修所断(三昧を繰り返すことによって断じられる情・意的な煩悩)

に分析し展開したとされる説一切有部特有の理論です。

つまり、四諦と九十八見随眠との関係は、
「四諦を理性的に学んで観知することによって見所断を断ずることができる」
ということです。



>たとえば、有身見は見苦所断ですが、なぜそこで断じれるのでしょうか?

同書によると、 有身見 と 辺執見(へんじっけん) は「種々のダルマの種々の因果関係の結果」を苦であると観じない誤った観念のことで、これを仮の存在であり苦であると認識すれば断じれると説明されています。実際のところがどうであれ、これが説一切有部の認識であり主張であったということになります。


>また、三界の欲界で断じたのにまた、上界で断じなければならないのでしょうか?

説一切有部の論拠によればそういうことになります。