掲示板の歴史 その十二
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NO.316  大乗仏教における修行法
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/12/15(Wed) 20:20:07
□IP/ 4.27.3.43

岩波文庫『インド仏教3』所収の『信・願・行』という論文で、稲垣久雄龍谷大学教授は大乗仏教においては大きく分けて @「六波羅蜜」と A「仏を対象とした行」の二つの修行方法があるとしています。
「波羅蜜」(pAramitA)という言葉は仏陀の前生譚『ジャータカ』などにも見られ、布施、特に極端な自己犠牲を中心とした菩薩行が説かれてますが、大乗仏教ではこれが組織的に教義に組み込まれて六波羅蜜を形成し、これが菩薩行を代表することになります。
以下の六波羅蜜の定義は同教授によるものです。
  1. 布施(dAna)= 物を与えて物質的な欠乏からくる苦しみを除き、正しい道理を教えて精神的な悩みを取る。
  2. 持戒(SIla)= 戒律を守る。
  3. 忍辱(kSAnti)= 苦難に耐えまた他人の軽蔑や非難などを堪え忍ぶ。
  4. 精進(vIrya)= 精進努力を重ねる。
  5. 禅定(dhyAna)= 種々の禅定三昧を修行する。
  6. 智慧(prajn~A)= ものの真実相を認知し、悟りに達する。
後期の大乗経典『入楞伽経』では、上記六波羅蜜をさらに三つの段階に分けて次のように分類しています。
  1. 執着に基づきより高い快楽の境界を求める世間的な(laukika)波羅蜜
  2. 小乗の行者が涅槃にあこがれて行う出世間的(lokottara)波羅蜜
  3. すべての執着を離れ分別を起こさないで行ずる出世間上上(lokottaratama)の波羅蜜
一方、「仏を対象とした行」に関しましては、同教授は以下の経典論書を例に取って「仏の供養」を成仏のための基本的な行の一つとして掲げています。
  1. 『法華経』
    「方便品第二」に説かれる様々な菩薩行を総括すると自力的な「六波羅蜜」と他力的な「仏塔や仏像等の建立と供養礼拝」の二つにまとめることができる。
  2. 『大無量寿経』
    「讃仏偈」で法蔵菩薩が仏になるために六波羅蜜の修行と諸仏の供養をなすことを誓っている。
  3. 『大乗荘厳経論』
    「供養品」で仏の供養が功徳と智慧の二資糧を満たすと述べている。
  4. 『般舟三昧経』
    般舟三昧(はんじゅざんまい)とは諸仏が現前する三昧であり、念仏三昧に通じる。ちなみに「般舟三昧」という表現は、「現在仏現前三昧」(s: pratyutpannabuddhasaMmukhA-vasthita-samAdhi)に相当する省略された音写であると考えられている(『岩波仏教辞典』)。釈尊滅後に功徳と智慧の二資糧を効果的に開発するには、これによって現在仏に対面して供養をする以外に方法がない。同経典はこれに伴う「四事供養助歓喜」の法で作仏することを説く。四事とは飲食・衣服・臥具・湯薬で菩薩が仏に供養する物質的なものであり、助歓喜は仏に供養する心的なもの。つまり、物心両面からの供養が菩薩を菩提に導くということ。
  5. 『十住毘婆沙論』
    龍樹が般舟三昧を説いている。
  6. 『浄土論』
    世親が観仏中心の菩薩行を示している。
少なくとも上のように見た限りでは、大乗仏教の菩薩行には初期の段階からすでに自力的な修行法と他力的な行法とが混在していて、それが連綿と続いていたものが、複雑化の末にやがては側面的で専門的(で時に排他的)な分派を経験しつつ現在に至っている、というのが分かるように思います。