▲[ 296 ] / 返信無し
NO.297 堅固なモノ
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/10/28(Thu) 09:52:33
□IP/ 65.168.28.130
>うーん。フェムトの意味が分かりません
え!?
ご存知ないんですか?
てっきり、環さんは『ベルセルク』を読まれたものと思ってました。
ちょっと吃驚です。
暗黙の了解で済ますつもりだったのに(苦笑)
まあ、とりあえずお読みくださいまし。
私的にはアニメ版がお薦めですけどね・・・
>うちの言ったコップの中身は社会の常識で、仕事や一般的なものです。
分かってます(^_^)
でも、それでもやはり、そのコップの中にはいろんなモノが入るんですよ。
常識然り、非常識然り。
既常識然り、未常識然り。
社会の常識が中身として入ってないと、その人にとっても他の人にとっても困ることになりますよね。
でも、ある程度非常識が入っていると、それがその人の魅力として作用することもある。
そのようにしてコップの中身と云うモノは、所有者を構成する要素であり、彼の内外に影響を与える要素でもある。
だから、通常は、コップの中には当然のように何かしらモノが入っているし、多くの場合はそうなっている必要があるわけですね。
中身は、自分から望んで入れる場合もあり、いつの間にか入っていることもある。
意図的であるなしに関わらず誰かに入れられる場合もあり、同様に誰かに奪われることもある。
とてつもなく流動的であるが故にそれを止めようとするのが人間の性ってヤツです。
そこで、 「諸々の生存状態に堅固なもの(sAra)を見出さない云々」(岩波文庫『スッタニパータ』一二頁) という文に見られるように、パーリ仏典『スッタニパータ』などではその性質が否定されるわけです。
同経典の注釈書に『パラマッタ・ジョーティカー』というのがあり、これによると、この 「堅固なもの」 というのは 「常住性または本性(sAran ti niccabhAvam attabhAvaM vA. 19)」 と解釈されるものであって、同経典の邦訳者で仏教学者の故・中村元博士はこれについて、
- 「事物のうちに堅固なものを見出さない、というのは、つまり<空>であるということである。<空>の思想は、最初期にまでたどることができるのである」(同二四八)
と述べています。
面白いですね(^_^)