掲示板の歴史 その六
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NO.152  「一二三四五」の意味
□投稿者/ 空殻
□投稿日/ 2004/01/23(Fri) 18:04:38


>つまり、私の主観的印象。

なるほど。
丁寧なお応え、ありがとうございます。
お訊きしておいてよかった。
それはもしかすると、「文字を操る分析知」と「イメージが考えるままに身を任せる能動的想像知」を包括かつ超越した「文字を操る能動的想像知」による情報なのかも知れない(^^)

ところでこの「一二三四五」についてですが、講談社学術文庫『典座教訓・赴粥飯法』収録の石川力山訳「典座教訓」の註によると、これは禅僧の問答でよく用いられる例だということです。
以下は引用。
禅僧の問答で「一・二・三・四・五」と数をかぞえる方法で答える例は多く、たとえば『趙州録(じょうしゅうろく)』に「師(趙州)南泉の井楼上(せいろうじょう)に在りて打水(水汲み)する次(おり)、南泉の過ぎるを見て、便(すなわ)ち柱を抱き脚を懸却して云わく、『相救え、相救え』。南泉、楜梯(こてい)を上りて云く、『一・二・三・四・五』。師、少時(しばらく)の間ありて、却って去きて礼謝(らいじゃ)して云く、『適来(せきらい)の和尚の相救うを謝す』と」あるのは、梯子を登るときの「一段、二段、云々」という掛け声であり、他にも数量や順序をいちいち確認するときに発せられる。ここでも、文字は表面上は一つ一つの言葉の意であるが、それは個々が独自性を有し、他に置換できない絶対的なものである意を含む。
(八七〜八八頁)