掲示板の歴史 その六
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NO.123  排他的公案主義・・・??
□投稿者/ 大閑道人
□投稿日/ 2004/01/19(Mon) 06:32:22


そうかなぁ〜。


彼は、臨済宗の立場と曹洞宗の立場の違いをよくわきまえているし、
また、

>看話禅を説く臨済ではあくまで悟りの門を叩く瓦石としか見ていません。「公案」は論理的思考を断ち切る手段、もしくは論理を超えた体験を引き出す道具と考えられていたようです。もちろん、それらの公案には、その言葉を吐いた禅僧の境涯、論理を超えた心の在り方が示されているわけですから、それを透過し(理解するのとは違います)我が物にすることに真の価値が見いだされることになります。

は、まさに我が意を得たり!なんですが。


特に、後半の部分は、羽矢辰夫「ゴータマ・ブッダの仏教」の(理知の眼を超えた)「黙想の眼」そのものです。